被災者支援団体の間接支援、バックヤード運営の構築支援、平時の備えの支援。元日本青年会議所の全国ネットワークを活かし日本中を駆け回ります。

10年 ~10Years~

  • 2021年3月13日
  • 2021年3月13日
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3月11日 10年とは?

昨日の朝、早朝に起床して、あらためて東日本大震災3月11日から10年とはメディアや行政や外部の方々が勝手に決めた『節目』なんだと強く思いました。
早朝からフルスロットルで始動。朝食、最高でした。

朝一、早朝は龍の松へ。

そして、その後は、2年前に出来て混んでいて行けなかった気仙沼東日本大震災遺構伝承館へ。最初の見た発災当時の動画では涙があふれてきました。その後、語り部ネットワークの高校生の生徒たちの説明が始まり、しっかりしないとと自分を奮い立たせましたが、学生たちの話しに涙をこらえながらきいてました。当時、幼児だったこの子たちが必死に自分の地元のためにボランティアとして語り部となって活動している。素晴らしかったです。

ランチは鶴亀食堂へ。

食事の後、気仙沼の経済のシンボルである魚市場へ。

そして、藤田さんの会社にて集合。黙祷を共に行いたく。

気仙沼湾に面している藤田さんの会社、藤田屋。当時、鉄骨3F。2Fの天井まで津波がきていて、建物は骨組みのみ残ったそうで、その後、改修工事をして営業を再開しましたが、かさ上げという事で、一旦取り壊して、魚市場付近へ移転。そして、かさ上げ工事が完了してもとの場所に戻られました。入って、胸に熱いものがこみ上げてきました。藤田さんのお父様、お母様ともお会いできて、本当に良かったです。2011年3月に藤田さんと運命的な出会いをさせて頂きました。10年をここで過ごせたこと、本当に幸せです。
藤田さん、復興するまで通うから!! 私と藤田さんの2011年、10年前の約束。10年である程度復興が進むと当時は信じておりましたが、来てみると、ハードはある程度出来ていましたが、ソフト面、これからのまちづくりはスタート地点に立ったイメージです。これから本当の復興がスタートするんだと思います。
ですので、藤田さん、互いに、爺になり、くたばるまで通います(^^)/ 男と漢の約束ですから。藤田さんも長岡に来ないとです。
今回は藤田屋さんの中で無理やり藤田さんのスマホをとり、FACEBOOK登録してスタートしてもらいました!!繋がっていない方是非、繋がってください!(^^)!
3月11日の新聞を見ながらそんな話しをしておりました。

そして、ご近所の気仙沼青年会議所歴代理事長であります臼井先輩の会社のスタッフの皆様とご一緒させて頂き、港で黙祷。

ここからが本当の勝負。
第1歩。藤田さん、微力ですが、これからも応援します。
心友として、互いを磨き合いましょう。

黙祷。

陸前高田へ

黙祷後、陸前高田へ。当時、陸前高田市で一番大きかった避難所の運営をされていた、蒲生さんに会いに。そして、手を合わせに。

市議会議員になられた、蒲生さん。これからが勝負だと、色々とお話しを聞かせていただきました。まちの復興、まちづくり、議員さんとしての今後の活動、是非とも応援させて頂きたいと思います!!
その後も、陸前高田市内を視察しました。

気仙沼を出発

あっという間の気仙沼、陸前高田訪問。今朝は早朝から始動。ホテルの屋上から当時被災エリアだった気仙沼の写真撮影。

新潟日報さんが取材してくれました、記事が朝一で各方面からご連絡を頂きました。10年の時を共に過ごした心友と10年たってまたこういう形で掲載頂けるのはありがたいです。

新地町 DRT-JAPAN黒澤さん訪問

福島県沖地震で被災された方々を支援するために、DRT-JAPANの黒澤さんは早い段階から現地に入られております。新たな連携ミッションを掲げて、訪問させて頂きました。DRT-JAPAN 黒澤さんの支援活動を勉強してまいりました。目的としてはプロボノで活動されている皆さまの装備関係に企業が関わらないかというミッションで。高所作業に伴う装備は高額で外国製です。是非とも、当社であればこんなもの作れる!!そんな企業様、私にご連絡をください!!

社用で新地町を急ぎで後にして、一旦新潟へ戻りましたが、これから郡山へ向かいます。バタバタしておりますが、気合入れてまいります。

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